前を向いたり、後ろを向いたり

リウマチと診断されてしまいました。それからの日々と雑感

診断

救急外来に行ったのが金曜日。
土日は病院が休みだから
受診の電話は 、早くても月曜日。
その間をどうやって過ごしたか。今となってはその記憶が、、、ない。
月曜日 スマホを側に置いて
電話を待っていた。
今日 診て欲しい。痛みをどうにかして欲しい。
ただただ、その思いだけだったような気がする。


そしてー
やっときた電話の後
仕事に行っていた主人に連絡し
午後には 高速で片道1時間の道程の後
病院に


血液検査12本
CT 、レントゲンの後
呼ばれた診察室で


CCP  49.1
RF     20.5
CRP  6.3




検査結果表に
細菌性肺炎  抗生剤
器質化肺炎 リウマチ ステロイド

先生のメモ


とりあえず
肺炎治療の為に
抗生剤と咳止め痛み止めの処方をされ
1週間後の診察予約で その日は終わった。


この時も無知な私は
薬を飲めば
痛みは緩和されると信じて家路に着いた。


この時の数値

CRP 6・3

CCP49・1

RF20・5

全て基準を上回ってる。

少し、仕事の話を

介護職に着いたのは平成16年3月
特別な思い入れがあったわけではなく
ただ ボーナスの貰える正規職員としての募集があったから。
当時 唯一の資格で
保育園の先生としてパートで仕事しようとしていたのだけれど
上の子が 大学受験で国立を諦めて私大に決まった事により
パートではなく正規職員でないと  家計がとてもやっていけない状態だったから。
それだけ、、、、


なのに はまってしまった 介護職
子供達が、将来を担うなら
老人は、歴史を作った 


楽しい日々ばかりではなかったけれど
でも、
この仕事を続けて行きたいと思わせる 毎日があって
気がつけば12年もの間、介護職を続けていた。
でもね、


リウマチ発症時
チーフ職として 中間管理職で 
多くの中間管理職がそうであるように
上からの指示と下への指導で
ストレスが、、、、
ピークだったのかもしれない。


楽しいはずの仕事が
ストレスの塊になり
眠れない日や 悶々とする日が続いていたのは確か


リウマチとストレス
因果関係あるって言われてる。


まぁ
母親がリウマチで 骨変形もあったから
遺伝もあるのだろうけど。

ところが、、、

線維筋痛症、、かもと診断された病院から
その日調べた血液検査の白血球の数値が余りにも高かったので
「至急 係付けの病院に行かれるよう。」とわざわざ電話をもらう。
その時の私は、
とても無知で、白血球の数値の示すものがなんなのかわからないまま
翌日 年に一度検査を受けている内科医を受診した。(子供の頃心臓ファロー四徴症の手術をしていたので 常に心電図は、右脚ブロックの為検査してもらってる。)
そして、そこで先生から改めて行った血液検査とCT検査で
①リウマチ性多発筋痛症の疑い
②肺動脈弁狭窄症
③右胸水、肺炎❓
炎症は①+③の可能性がある
という診断で
紹介状を書くから  すぐに、大きな総合病院に行くように言われ
その日の午後には
そこの病院の救急外来の待合室にいた。


ただ
救急外来故に血液検査と単純な診察のみで、
後日改めて リウマチ膠原病科の予約をする事となった。
日にちは、決定出来ないから 決まり次第電話を入れると言われて帰された。
なんなの なんの診断もなく痛みの中待たされた結果がそれ❓


その時の私は
全身が痛くて寝返りもままならず
立って 歩くのなんて泣きながらだった。
いや、、、
大げさじゃなく